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朝日新聞福島版連載のコラムです。(H13年4月12日)

生きる

山椒魚と智恵比べ   星 寛さん 檜枝岐村 72歳

「夏水」のころ知恵比べだな

 
   山椒魚(さんしょううお)捕りは、昭和二十一年に始めた。燻製(くんせい)は五年か六年くらい前までやってた。昔は山小屋で、捕って来たやつみんなたるに入れて、塩水で殺してからくしに刺してきれいに洗って燻製にした。一晩二晩で出来ねぇんだがら。今は冷凍にしてる。

 捕るのは春。五月末から六月半ば過ぎまで。ふなまががー(舟岐川)だ。そして毎年、沢の同じ所にズーを仕掛ける。山さ行ったら、まずはあいさつして入らないと駄目や。今年も来たから頼むやって。あんまりこそっと黙って入ると、クマに怒られるわ。あそこは熊の領域だもん。オラが領域でねぇんだがら。

 去年から、一番ばっち(末)の子が山椒魚捕りいっしょにやってるが、山も分がんねぇだし、それ分がる様になるまで大変や。覚えるまでがおもしれぇんだがな。

 山椒魚は、お天道様大嫌い。山の石の下とか、土手の下なんかの湿ってるとこにいる。水がきれいな所さ卵生むだ。ここで卵を産む場所はだいたいわかるが、産んだ卵は見たことが無い。卵を産んでしまえば、もう絶対姿は見えなくなるがら、産むのに山から出てきたどご捕る・・・山の芽吹きだとか、温度、水の色なんかで判断して・・・雪水が夏水に変わる時、その時が一番いい。勘や。だいたい捕れるなって・・・まちげぇねぇ。山椒魚と知恵比べだ。そうだから、おもしれぇが、そんじゃないと面白ぐなくてやってらんにぃわ。

 昔は燻製にしたのを、二十匹ずつ頭と尻尾縛って、どういうふうに調理したか知んにが、東京さ送ってやってた。昔は何十人もやってた。今でも辛抱強くやってれば取れっぺぇが、山さ行ぐ人がいねぇぐなった。

 山椒魚捕り始めた頃は山が良かったし、今年いっぱい捕ったって来年減るということは考えなかった。だがやってるうちに、今年あんまり捕りすぎると、何年か過ぎたら捕れなくなるって分かるようになった。

 山椒魚の一番最盛期は、昭和三十五年から三十六年。四十年になると、捕る人も山椒魚が住める場所も少なくなった。

 昭和三十年頃、山の伐採が始まった。ブナ、ナラ、栃の林切って、カラマツや杉を植えた。カラマツや杉は風にも雪にも弱くてペタペタ倒れっちまう。粘りがねぇ。根っこが張ってねぇ。山が荒れた。それまでは、大きい木があって下草が短かったが、日当たりが良くなった。それに雨が降ると水がザーっと出て、そうすっと山椒魚居っとこねぇ。繁殖しねぇ。カラマツ植えた沢、山椒魚見えなくなっちまった。

 ある程度捕れるうちに止めねぇとだめ。まだ捕れるまだ捕れるって、捕っちまえば終わりだ。卵持ってるやつしか、捕らねぇんだから。四年で一人前になると思わねぇと。自然に逆らって、無理に捕ったってしょうがねぇもん。それでは、本当に絶えてしまう。

 前に伐採したところが四十年近くなるが、沢の水は戻んねぇな。後では戻るかもしんねぇが、当分はそんな簡単に戻んねぇ。環境はだんだん良くなってくると思うがな。今までが一番悪い。檜枝岐の山、あとは回復するばっか。でも三十年も四十年も先になってしもぅから大変や。気長な話だ。そだ気長な人、あるもんでねぇ。

(奥会津書房編集部)

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