東京からここに嫁にきた時、夫が民具とかをたくさん集めていたんです。民具だらけ。薄暗くて、汚くて・・・。最初来たときは、そのくらいしか思わなかった。
変わったのは、97年に、夫が交通事故で亡くなってからです。手仕事のものはすごいなと思うようになりました。ただ道具として作るだけじゃなくて、いろいろなものを表現しているんじゃないかと思うんです。
そんなふうに一つ一つ作ったもの、捨てられないと思うようになったの。この家も同じ。そのとき家はトタン屋根で、それをはがして草屋根にしようと思ったの。
茅葺(かやぶ)きにしたことは、良かったと思っているの。観光のためじゃなくて、普通に生活していくのがいいと思っています。
茅葺だからこそ、ここで生活する良さがわかると思うし。茅葺を見ると、ホッとしたりするでしょう。どこも壊されて、なくなってしまうのを思うと、余計に茅葺に対する愛着が湧いてきます。
冬は、一人だと泣きたくなるような時もあります。ここは舘岩でも一番奥まっているから、雪が深いんです。
草屋根にしたのに屋根にも登れないなんて言われるのは悔しいから、去年一人でやり出したら、地域の人が一緒に登ってきてくれて、手伝ってくれたんです。スコップを持って上に登ったときは、足が震えました。自分で何から何までやるようになって、やっと愛着がもてるようになりました。
ここの地域の草屋根は、ほとんど限界に近い状態なんですって。
意識的に何かしていかないと、何か特別な施設しか残らなくなります。あと十年ですって。皆、年をとっているし。ただ見ているだけでは、十年というのは短いですよ。
生活の便利さと、景観を守ることとは、相反するのよね。高齢の人が多いと、道路でも何でも便利なほうがいいし、でも、何かひとつ我慢することで、すべてがうまく回っていくような気が今はしているけど。
山の恵みを囲炉裏を囲んでみんなで食べられるような民宿にしたいの。都会からきたお客さんに昔の生活を体験してもらいながら、一緒に暮らしを作っていきたい。ひとりでは、とてもこの家は守れないから。名前は考えてあるの。「離騒館」ってね。
まだ、村の人の家には気軽に行けないな。でももし、私が都会に戻っったとして、その孤独と、ここの寂しさは違うから。地元の人とやっていくには、十年かかるって。それでも、ご近所の人みんなに助けられています。
ここで都会と田舎の掛け橋になれればいいなと思っています。
(奥会津書房編集部)