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朝日新聞福島版連載のコラムです。(H13年5月24日)

生きる

山菜、キノコ・・・山の恵みを食堂に
星 吉一さん 伊南村 51歳

山が可哀想だ 休むときがねぇ

 
   東中学出て、山仕事しながら稼いでたんですよ。そしてこの食堂を建てました。

 春は山菜採って、夏は釣り、秋はきのこだな。お客さんに出したり、売ったりしてるんだ。昔、秋はきのこの助けられた。今は人がいっぱい入っちゃうから、俺(おれ)たちは採れねぇ。

 山はいい。気持ちが落ち着く。一日一回山に行かねぇと気持ちが落ち着かなくて。ここにいると体が疲れるね。

 山歩ってくれば、確かに疲れっけど、それでもいいんだよ。山に登っていれば、木の下歩っていればいいの。雨は雨で、落ち着くな。雨が降ってくる音は、山から何かが降りてくるみてぇに、葉っぱが遠くからサワサワーって聴こえるんだよ。あと何分で、何十秒でここまで来るナって、分かるよ。ドシャ降りんときは、大きな松の木の下でタバコ吸って遊んでると、そのうち止んじゃうね。それか濡(ぬ)れながら帰ってくんの。気持ちがいいんだ。風であろうと雪であろうと、何でもいいんだよな、山なら。

 昔と違うのは、高い険しい山が崩れてきたこと。公害だか分かんねぇが、根っこ張れねぇくてズズッと崩れんだ。毎日遠くの山を望遠鏡で見てっから、すぐ分かんの。見えるのはちょっとした茶色だけど、何十メートルも崩れてるはずだ。毎年、崩れる場所が増えてる。何でそうなんのかなぁって、心が痛む。

 きのこも年々出なくなってる。人が大勢入るからだけじゃねぇ。きのこの菌糸自体が弱くなってる感じだ。昔は生きたまま淘汰(とうた)されて倒れた木が、きのこに養分をやって、そして枯れていくのが当たり前だった。木が倒れて、きのこが菌糸をつける。今は倒れるんじゃねぇ、枯れる。立ち枯れてる。手入れしてっとこは別だけど、自然の山はみんなそう。山としては良くないような気がする。

 排気ガスは山に影響あるよ。山が可愛そう。年がら年中、排気ガスかぶって・・・だから雨が降っと、葉っぱ洗ってくれて良かったんべなぁって。車も通んない山奥に入ると、葉っぱも違うなぁ。山の匂いが全然違う。絵の具の緑色溶かした時のような感じ。ふわぁっとして、それが強いんだ。

 きのこ採るときは、いつも「ありがとう」って言うよ。昔「山菜でもきのこでも、必ずひとつは種に残しておけ。次に来たときはその種が覚えていてくれて、また採らせてくれっから」って、そう教わった。種の方で俺を覚えていてくれるんだよ。

 できれば山のために、人の入んない場所を作ってもらいたい。人間が入ると、山が可愛そう。絶対、人間が一歩も入れない山を作ってやれば、鳥やケダモノが棲(す)める。棲み分けが大事だ。人間が入んなければ、自然に生き物が集まってくる。もし、そういうことが出来れば、これはすごいことだよ。

 俺は死ぬまで山に入ってんだろうな。きっと。

(奥会津書房編集部)

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