ヒメサユリは、親父(おやじ)が頑張ったんですよ。昭和三十四年だったかな、植林していた山に自生していたヒメサユリの花があんまりきれいだったから、根を掘ってきて面倒見てたんです。親父は、栽培は無理だっていわれても、何とか自分が関わって花を咲かせてみたいって夢があったんだろうな。
伊南川の河岸段丘の一番上部を開墾して、そこに植えたのがなくなんねぇでいたもんだから、何とかなんのかなぁって…。それから、本格的に取り組みはじめたんですよ。
植林の合間に夢かけてやってきたんだよね。花がきれいなのと、栽培はむずかしいっていうので逆に意欲が湧いたのかな。
親父はユリで生活できるなんて思ってもみなかっただろうけど、特殊なユリだから何とかしなきゃって使命感もあったろうな。オレも親父も同じことを考えていたような気がする。
いつか自分の目の前を全部ピンクにしてみてぇといつも思っててね、昭和五十七年に三十五アールほどの畑に蒔いた種が、四年後の昭和六十一年に全部ピンクになったんですよ。感無量だったなぁ…。
今は百万株ぐらいになりました。農園全体では四六〇アールぐらいです。花が咲くのに最低四年はかかる。ヒメサユリは四、五年で根を掘ると連作の障害が出てしばらくは別のものを植えるしかねぇから、次々と開墾しなくちゃなんねぇ。
夏場は忙しくて、植林した山の林に手をかけてやるヒマがないんだ。今は山に入ると疲れが癒される。なかなかその余裕がないけどね。
山に作業道を作るとき、必ず水場を作るんですよ。そうするといろんな生物が生息するようになるから…。山椒魚やアカガエルなんかはすぐ棲みつくし、トンボやオニヤンマはすぐにやってくる。自分のまわりにいろんないきものが棲んでいるっていうのは楽しいから。
植林してるころは役に立たなかった古い田んぼの跡に池を掘ったら、すぐに水が溜まってね、次ぎの日からトンボが飛んでる。ちょっとびっくりして…。沢とは違う水場っていうのは、彼らにとっては大事なんだろうな。そんな水場が案外少ないのかもしれないと思って、ちょっと掘ってやる。秋に掘れば、山椒魚が春には産卵するんですよ。今までどこに産卵してたのかなと思う。
新しく水場を作るのは楽しいですよ。
山の中では、倒木や枯れた木もあんまりきれいにしちゃいけないんです。コゲラなんかが巣を作るところがなくなっちゃうから。
人間だけじゃ生きられねぇ。いろんないきものと一緒だから楽しく生きられるんですね。
子供たちに自分の夢を継いでほしいって思いはあるけど、外に出てよそを見たときに、本当のものがわかるんじゃねぇかなと思ってる。
(奥会津書房編集部)