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朝日新聞福島版連載のコラムです。(H13年7月12日)

生きる

有機農業
    
 小松 正信さん 三島町 49歳

自然との共生 過疎がいいな

 
   百姓は十八歳の頃(ころ)からやってる。同級生は五十二人いたんだが、その中で農業で生計立てている人はいない。大きな田畑を持っている人も、町を出ちゃったな。

 百姓になって十五、十六年経った頃、有機農業の話を聞いた。仲間と勉強しているうちに、農薬や除草剤の害のことも分かってきた。食べる人もだが、作物作ってる人の害がひどいんだな。

 有機農業始めた頃、よぐ分がんなかったから、ただ除草剤使わなければいいんだなんて思ってた。

 今二丁三反(約二万二千八百平方。)の田畑やってる。有機農業って難しい。田んぼは、水が豊富だとやりやすい。一番大変なのは除草だな。あとは作物が病気になっても俺(おれ)は消毒しない。放っておく。枯れんのは諦める。大量に取んべと思うと、どうしても病気が出てくる。だから、皆が八俵取っとこ、七俵とか六俵に基準を持っていくんだ。太陽の力と地力のバランスが良くとれていれば、そこで取れるものは決まってるんだけども、それ以上取んべと思うと、無理になって病気になる。

 昭和三十年頃まで、山の方開墾して小屋に住んで、粟(あわ)と稗(ひえ)作ってたの覚えてる。山で生活すると仕事も遊びも一緒で、家の手伝いも楽しかった。小学校三、四年生の頃から、百姓仕事を手伝った。俺は全然嫌じゃなかったな。

 昔は薪焚(まきた)くから柴刈ったり、その頃は子供いっぺぇいて春先んなっとみんなでかた雪渡りしたりして、いつも山で遊んでたな。

 家では平成四年まで養蚕をやっていた。畳はしまっといて正月だけ出したよ。家中に蚕さまがいて、俺は生まれてすぐっから蚕の側さ寝かされてた。サワサワっていう音、気持ちよかったなぁ。

 母(かぁ)さまは、踵(かかと)つかねぇで歩くって言われるほどよく働いてた。隣の母(かぁ)ちゃんが、苗の作り方なんかも聞きに来んだ。そういうの見てたから、俺も同じようにやってんだろうなぁ。だから自分のやってることって、言葉にできねぇ。

 子供たちには、外の世界も見てものの考え方を広げて欲しい。それでやっぱ百姓がいいナ、と思ってくれたらいいなぁ。

 過疎はいい。自然と共生してくには、人はあんまり多すぎねぇほうがいいな。今の暮らしは昔と違うから、昔は油も洗剤もそんなに使わねぇから、水がきれいだった。植物が、汚れた水も浄化した。

 暮らしに金かけっと自然も壊れる。百姓も、経営しようと思うと苦しくなっけど、ものを作る、育てるってことは楽しい。百姓やりてぇって言う都会の人も来るけど、何かを育てたいって気持ち、誰(だれ)でも持ってんだかもしれない。

 必要な道具は自分で作るし、修理も自分でやる。毎年、ああしてみっか、こうしてみっかって考えて工夫できんだから楽しいな。

 だから俺、百姓やってられんだな。

(奥会津書房編集部)

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