|
多くのひとびとでにぎわう鹿島神社
=南会津郡南郷村で |
日照りが続いて農作物が枯れるようになると、どこの村の農家も裏山の滝つぼなどに石を投げ込んで雨ごいをする。
また大きな沼のある村では、その沼に石を投げ込んで龍神様に雨ごいをする習わしがある。
この虻の宮(あぶのみや)(現在は南会津郡南郷村界)の鹿島様のある村では、鹿島神社の前で雨ごいの神楽を演じると、必ず雨が降ったという言い伝えがある。
次の様な伝説もある。
☆ ☆
むかし昔、天養の時代(一一四四年)、常陸国鹿島神社のご神霊がアブに乗ってご来臨になり、高い猛(たけ)ノ山のふもとに鎮座された。それでこの村を虻の宮というようになったと。
また、この山には、鹿島様の使い姫としてシカがおり、常陸の鹿島様と行来きするので鹿を殺してはならないと戒めてきたが、慶応三年(一八六七年)春、虻の宮の心ない人達によって、猛ノ山に住んでいたシカを殺して食べてしまった。翌日、シカを食べた虻の宮の人たち六人の家だけが焼けてしまったという。
これを「虻の宮の鹿(しか)焼け」と言って今に伝え、鹿島様のご神霊をおそれあがめ、二十年に一回のご遷宮を厳かに行う。
☆ ☆
昔、界(さかい)村は伊北郷に属していたので、町村合併までは伊北郷の郷社として、奥会津地方の人々の信仰を集めてきた。
鹿島神社の沿革を見ると、先に述べたご神霊がアブに乗ってご来臨された説と、源義明という人が、常陸国鹿島神社のご神霊を奉遷してきて後、天養甲子元年、現在地に神社を造営して鎮守とした、という説の二つが記載されていた。
祭日は、昔は七月十九日だったが、現在は九月四日を定例、九月五日を大祭としている。そして、伊勢の大神宮と同じく、二十年に一度屋根替えをしてご遷宮が行われてきた。
天保五年(一八三四年)には神殿を再建して第三十四回正遷宮が行われた。更に、昭和二十九年(一九五四年)になって第四十回ご遷宮が盛大に行われた。
昭和四十八年(一九七三年)六月、たまたま物凄い雷雨と共に、鹿島様に落雷。神社本殿蔵まで全焼し、すべての古記録まで一切焼却してしまった。
虻の宮の鹿島様は今でも地方の人たちの最高の心のよりどころとなっている。
【写真・文 安藤紫香(しこう)】
>>
もくじへ戻る