大沼郡三島町の八木ノ瀬の橋のたもとに、一体の道祖神がひっそりと立っておられます。つぼをもった男の神様。優しく寄り添うように盃を持って立っておられるのが女の神様。これは双体の道祖神と呼ばれ、縁結びの神、夫婦和合の神、子の守り神、田の神、水の神、特に耳の病を癒す神として、今もなお厚い信仰があるのです。
この八木ノ瀬の道祖神には、ひとつの悲しい物語が語り継がれています。
遠い昔、この村に互いに愛し合った娘と若者がおりました。しかし、二人の幸せを打ち砕くような悲劇が起きました。娘は親の定めた縁談に従わなければならなかったのです。娘の嫁入りの前日のいざよいの晩、二人は人目を忍んで八木ノ瀬の河原で会い、いざよう月影を黙したまま見つめておりました。
娘は言いました。
「魂だけになっても、私はきっと帰って参ります」
若者は、ただ黙し頷くだけで、熱い涙がほおを伝って流れました。幾年月かを経て若者が耳にしたのは、嫁いでいった娘が自ら命を絶ったという風の便りでした。若者は血を吐くような慟哭(どうこく)の思いの中で天を恨み、神を恨みました。娘への絶ちがたい慕情を秘めた若者の生活は、魂を失った抜け殻のようになってしまいました。ある日、娘と別れた八木ノ瀬の河原から一抱えほどもある石を運んでくると、七日七晩食を断ち、石に向かってノミを振り続けました。
男の神に自らの姿を写し、女の神に去って逝った娘の面影を求め、果たし得なかった二人の魂世界を石に託して結実させていったのが、この道祖神だと物語は伝えています。 この物語が何百年もの長い間、地域の中で親から子へと語り伝えられてきたのは何故なのでしょう。それは、この物語が時代を越えた普遍的な情念の世界ゆえではないでしょうか。その情念の世界が崩壊の危機に直面している現代、果たしてこの物語を後の世に伝え遺していけるのでしょうか。二人の慟哭と情念の世界を刻んだ神々の姿も、語り伝えられた物語も、心に留める人もなく時空の果てに消えていくのでしょうか。
人々の心のなかに、悲しみに流す涙がある限り、この道祖神が語る血を吐くような慟哭の世界を、情念の世界を、心に留めておいて欲しいのです。
【写真・文 津田要吉】
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