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朝日新聞福島版連載のコラムです。(H12年9月7日)

奥会津に棲む神々

おぼ抱き観音   手厚く供養 大分限者に

おぼ抱き観音の由来を記す碑と観音像を守る堂
=河沼郡柳津町で

 大沼郡会津高田町の神山地区から河沼郡柳津町に抜ける旧道は、大平山・早坂峠を越える平地八キロ、山道十六キロの難路である。この早坂峠には、虚空菩薩信仰譚(こくうぞうぼさつしんこうたん)に関わる伝説が今に伝えれられている。

 江戸中期元禄のころ、会津高田町袖山・馬場家の先祖五代目久左衛門は、日頃信仰する柳津虚空蔵尊に深い心願あって、二十一日間の丑(うし)の刻(こく)参りを発願し、深い闇に包まれた往復四十八キロの山道を通い続けた。

 満願の日、久左衛門が峠付近の老松の元で一呼吸したその瞬間のことである。目の前の闇がボーと薄明るくなったかと思うと、幼子を抱いた乱れ髪の美しい女の姿が幻のように現れた。久左衛門は一瞬息を呑んだ。この夜更けの山中である。この世のものでは無い。魔性のものに違いないと思った瞬間、全身の血が凍りついて、立ちすくんでしまった。

 女は妖艶(ようえん)な笑みを浮かべて言った。

「そこな旅のお方、私はここで髪をすきたいと存じます。その間この幼子の守りをお願いいたします。もしこの子を泣かせずに守りをして頂けたらお礼を差し上げましょう」「もしこの子を泣かせるような事があれば、貴方のお命はありませんよ」

 女の顔が妖気(ようき)漂う凄艶(せいえん)なものに変わっていた。久左衛門はただ頷くより他は無く、「南無虚空大菩薩」と、声にならない声で祈った。

 そのとき、村の古老たちが「魔性の子供を抱くときは、決して顔を合わせるな。顔を外向きにして抱け」と言っていたのを思い出し、久左衛門は幼児の顔を外向きにして抱き、羽織のひもをがん具替わりに与えた。

 幼児は二本の紐を揃えようとするが、長さの異なる羽織のひもはそろうはずはなく、幼児がくり返しひもぞろえをしているうちに、時は過ぎた。  髪を梳き終わった女は、お礼にと、久左衛門の手にずっしり重い包みのものを渡すと、またも幻のように姿をかき消してしまった。久左衛門が包みを開くと、夜目にも眩い黄金の重ねもちが輝いていたという。

 それ以来久左衛門家は栄えて大分限者になり、後にこの地におぼ抱き観音を奉り、手厚く供養したと伝えられている。

 昭和三十五年、この地におぼ抱き観音由来の碑と観音像を護る小さい堂宇が建てられた。これは現在も続くおぼ抱き観音信仰の証であろう。


【文・写真 津田要吉】

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