大沼郡昭和村佐倉の諏訪神社は、こぢんまりとした神社である。広い境内では、周囲の杉の枝先がやさしく揺れているが、何の音も聞こえない。五十段ほどある石段は立派なものとはいえないが、しっかりした石鳥居もある。
昔からこの集落には二十四戸が定着していたが、出入りを経て今は二十五戸になった。
八月二十八日は、諒太郎君の誕生五十日のお宮参りであった。
お宮の入り口の畑にいたおひろばあさんが、手をやすめて思わず駆け寄り、顔をくしゃくしゃにして喜んでくれたそうだ。
この集落では、長男に子供が生まれて五十日目のお宮参りに、男の子は弓に二本の矢をつけ、女の子は昔ながらの生紙(きがみ)で雛(ひな)人形をつくり、参拝して捧(ささ)げることになっている。
格式のあった神社ではないが、昔から私たちの神社意識は強かった。
集落の人が病気入院して手術をすることになると、「おこもり」といって、近親者はお神酒と若干のお供え物を上げ、無事を願って何時間か神様にお祈りをした。
この五十日まいりも、男は立派な武士のように、女は美しくやさしい娘に成長するようにとの願いが込められている。
弓と矢は、親指ほどの太さの地竹か若木で形を整えた約四十センチくらいの素朴なものである。名前も月日も書いてないのがほとんどだが、諒太郎君の弓矢には名前が書かれてあった。現在十六本ほど奉納されているが、この中には三十年から四十年も前の弓矢があるようである。
お雛様は三十体ぐらいあって、その中の半数以上は古く、紙は薄くなって透き通るほどになっている。四,五年前のものか、西洋人形が二体あった。体格がよく目が大きくて、奉納する雛人形も近代的になってきたということか。
この行事がいつ始まったのかは、定かではない。自分たちを守ってくださる鎮守様に祈ることで、子供たちの身も心もすくすくと立派に育ってほしいと願うのである。村人のこうした敬謙な思いは、昔と変わらずこれからも引き継がれていくことだろう。
鎮守様も、弓とお雛様が次々とたくさん奉納されることを願いながら、ひっそりと見守っていてくださることだろうに。
【文・写真 馬場 勇伍】
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