大沼郡三島町西方。野沢へ抜ける旧街道からわずかに入った畑の脇に鎮座する「兵六観音」。今も集落の女性たちがひっそりと守るお堂は、小さいながらも掃除が行き届いていて、明るい秋の陽の中でまどろむようにたたずんでいる。
兵六観音には、村境の土地争いで傷ついた兵六という村人の身代わりになって、自ら袈裟懸(けさが)けに傷を負ったという数奇な来歴がある。
兵六観音の足元にある一抱えほどの自然石は、「抱き石地蔵」とも「おびんずる様」ともいわれて、昔から集落の女性たちの人生を温かく見つめ、その道先案内をしてきた。
一九七四年(昭和四十九年)に実家近くに転居してきた田中シウさんは、明けた正月の二日に吉祥夢を見た。
「コイがたぁくさん泳いでいて、それは見事なものだった」そうしているうちに二匹のコイが、すーっと高く昇っていく夢だった。あの夢は兵六観音様が見せてくださったと今も思っている。信心するようにと母からいわれていたけれど、本当なんだなぁと、その日から毎月一日と十六日のお参りは欠かしたことがない。行かないと、何だか呼ばれてるみたいでねぇ。団子を上げておびんずる様に触ってくると、気持ちが落ち着く」
座布団の上に大切に安置され、赤いずきんをかぶった大きな石のおびんずる様は、縁結びもしてくれるといわれている。縁だけに限らず、願いをかけて抱き上げると、願い事がかなうときは軽く、かなわぬときは重い。女性が持ち上げるには重過ぎる石だが、その重さは、願いや苦しみや悩みそのままに、みずからの力で抱えよ、という厳しい姿勢を促しているようにも思える。
女性たちは抱き上げる度にその重さをはかり、人知れず心に決着をつけながらりんと背筋を伸ばして生きてきたのだ。
数え切れないほどの願いを抱きかかえた石は、磨かれたように光りを宿して輝いている。
母から娘へ、嫁へと伝えられてきた兵六観音と抱き石地蔵への信仰は、精神世界の安定と浄化を求めて、今も現実の暮らしの中で確かに受け継がれている。
【文・写真 奥会津書房編集部】
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