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たいまつを手に炎を上げる大柱を見る
河沼郡柳津町で |
旧九月十八日(十月十五日)の晩、河沼郡柳津町の砂子原(すなごはら)地区で行われる火祭りがある。昔、その祭を行わなかった年に、村は大火にあったと言い伝えられ、それからは毎年欠かしたことがないという。「せんどぅむし」といわれるその火祭り。子供から大人まで、皆が楽しみしている祭である。
日暮れの頃、熊野神社から太鼓の音が鳴り響く。その合図と共に、お供えするために新米でついた餅を手に皆が集まってくる。
神社の広場に、半日がかりで作った大柱が立てられていた。大柱は杉。そして、大柱の根元には燃え草として竹や柴、ワラ・マメガラ・ジュウネンなど秋に収穫した作物の取り殻が集められている。大柱に火を付けるのは、四人の十三歳の男子と決まっている。灯明から四人のたいまつに火が移され、合図と共に東西南北の四方から燃え草に火が付けられる。
火が燃えあがる。竹に火が移ってはパンと大きな音を出す。そしてさらに燃えさかる。
「せんどぅむし」と呼ばれる火祭りには、今年作物が豊かに実った感謝の気持ちが込められている。そしてまた、来年の五穀豊穣(ごこくほうじょう)・家内安全・厄除けなど、様々な願いが込められているのだという。
大柱に火がつくとそれぞれが、麻幹(おがら)で作った一.五メートルほどの長さのたいまつを手にして火をともす。その火でお互いを叩き合う。子供たちが「たいまつぶち」と呼ぶのは、このためである。
ルールは、膝から下を叩くこと。大人も子供も関係なく、お互いの顔を確かめ合いながら、足元を軽く叩き合う。また一年無事に過ごせるますように・・火によって、身も心も清められるということなのだろう。
年々子供の数が減り、今年火付けの役をやったのは、小学二年生から中学生までの男子四人だった。たいまつにする麻幹も、麻の生産者は近隣では昭和村に数件残るだけで、あと数年分しかないという。たとえ今より大柱が小さくなり、たいまつにする麻幹がなくなって代用のもので作ることになっても「残していきたい」と、砂子原区長の金子優さんは話していた。
【文・写真 橋本百合子】
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