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朝日新聞福島版連載のコラムです。(H12年12月7日)

奥会津に棲む神々

虫供養   小さな命に 心を澄ます

虫供養のお札の前に
供え物をささげ手を合わせる人たち
=大沼郡三島町にて
 雪を迎える準備は、雪国の人たちにとっては地面との決別を意味する。この時期、人々はやがて深い雪に覆い尽くされる山々や田畑を、確かめるように踏みしめるのだ。農作業の終わりと、間近に迫った雪の重さに耐える長い日々を思い巡らしながら、揺れる心の置き場所を探す時でもある。そして、消えていった小さないのちに心を澄ますときでもある。

 只見川に面した山あいに開けた大沼郡三島町の早戸地区では、十一月十日に「虫供養」が行われた。

 害虫も益虫も、ひとしくその姿を隠した冬枯れの野に、村人総出の長い行列が村中を静かに巡った。一キロほど離れた村はずれの畑まで、老若十四、五名が道を行く光景には、懐かしさと共に寂寥感(せきりょうかん)が漂う。隣の金山町水沼の高林寺から頂いたお札を竹の棒に下げて、鉦(かね)を鳴らす人が行列を先導すると、それを合図に家々から三々五々列に加わり、村はずれのミシャカノバッケを目指すのである。

 行列の行き着く先は、村はずれの畑の更なるはずれ、一本の桜の木の根本だ。虫たちの魂の安息所に桜の木が配されていることに、村人たちの優しい心根の深さを思う。空を飛び、地をはい回った虫たちがかえる場所には、彼らのいのちを包み込むように、毎年やわらかな花びらが散華のように舞うのだ。

 花を手向け、線香をたき、菓子を供えてひざまづく村人たちの前で、顧られることもなく消えていった虫たちが神々しく魂を復活させるのが見えるようだ。

 この行事は、例年旧暦の十月十日に行われていたが、高齢者が多くなるにつれて、雪道の寒さを避けるように十一月十日と定められた。 虫を弔うという側面には、昇華できなかった虫の霊が、悪さをしないように、という願いも込められている。

 ささげられた菓子を、三つか四つの女の子が楽しげに参列者に配って歩く。ささげられ、たくさんの合掌を受け止めた菓子は、お護符(ごふ)として虫たちと食を共にする。

 大人たちが何のために集まり、何に祈るのかを、この子どもはまだ知らない。それでも、心をひとつにしていのちを見つめる敬けんな振動を、確かに体中で受け止めているはずである。


【文・写真 奥会津書房】

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