明治三十八年生まれで九十五歳や。
子供たちが、昔語り聞かせっと喜んで聴いてくれてたんだが、私が八十の時、学校さ来て語れっちゅうのや。
学校さ行って語るほどのもんでねぇから、ヤンダちゅうのに、聞くちゅうねぇのや。ところが子供ら、ほんとに喜んでくれてなぁ。
そん時、ちっちゃな女の子がオレの手ぇぎっちりつかまえて、
「タニばあちゃん、また来年も来てくやれよ」って言うの。「おぅ、おぅ、又来っから」ってそう言ってやればよかったものを「そんな約束なんかできっかれ。タニばあちゃんだっていつ死ぬがわがんねぇもの」って言っちまった。それが今でも気になってんのや。
オレは八十だし、死ぬがもわがんねって思ってたから、一年先の約束なんかできねぇって思ってな。ホンにワリィごどした。
あれがら十五年も経ってんのに、まぁだ死なね。(笑)
それがらは、頼まれっと学校さいって昔語りしてんのや。
これ見てくやれ。昭和六十三年からずうっと、どこで何語ったか書いておくの。同じ事語んねぇようにな。
何年か前に、山形で「大日本・語りのまつり」ちゅうのがあって、そこで語れちゅうのや。オラ、方言でしか語ったことねぇからダメだって言ったら、そこの理事長っていう人が「標準語の昔語りはありませんよ。方言で語るところにあったか味があるんです。是非来て下さい」って言ってくれやった。みんな喜んでくれてなぁ、四つも五つも語ってきたのや。
そんなごどがあって、安心して今でも方言で語ってんのや。
保育所に行くとナ、みんなが「タニばあちゃーん」ってがなりながら出て待ってんのや。行くと、こうやって指ぎっちり握ってな。本気になって身ぃ乗り出して聴いてくれる。
可愛いなぁ!ほんとに。
子供が喜んでくれっから、くたびれるなんて無いよ。家にも子供たちがいっぺぇ遊びに来る。
小学生も中学生も聴きに来んだよ。
いつまで語れっか分がんねげども、大変だげども、喜んで語んべや。
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