海外に行って経験の無い料理に出くわしたとき、本当にどうしていいか分からなくなる時がある。
以前社員旅行で訪れた韓国の宮廷料理には閉口した。料理の一品が、とても耐えられないような臭いがするのである。靴の蒸れた臭いのもっとひどいやつとでも言うのであろうか。
また香港では、現地の人に「美味しいですよ」と勧められた料理に参ってしまった。生のレバーに香辛料の効いたものがどんぶりいっぱい出てきた。スタ-アニス(八角)の強烈な匂いに、気分が悪くなるほどだった。
何時の事かは判らないが、海鼠を最初に食べた人もかなりの勇気が要ったのであるまいか。
ところが、江戸時代にどういう理由からか干した海鼠の料理が大流行する。かくして我が故郷会津津の記録に残る料理献立にも、この干し海鼠が多数登場することとなる。
「本朝食鑑」という江戸時代の食物百科事典によれば、越後の国は良質な干し海鼠を産し、中国などにも輸出したと書かれてある。干した海鼠は小指ほどの大きさで、運ぶのにも便利だったのであろう。くしこ、きんこ、などといわれ様々な献立に利用された。
どうやら様々な資料から察するところ、海鼠は一種の精力剤と考えられていたようでもある。「本朝食鑑」にもその旨の記述が見える。江戸からはるばるお出でになられた御巡見史様の、長旅の疲れをねぎらおうと精のつく食べ物として気配りしたのでもあるまいか。
当時の料理を再現する際、この海鼠を江戸時代の方法で戻してみた。土鍋に水と藁をいれ煮立て、茶色い煮汁になったところに小指大の大きさの干し海鼠をぶちこむ。蓋をして蒸らし、火から外して冷めたらまた煮立て、同じ作業を数回繰り返す。二、三日したら20センチぐらいの大きさに戻る。突起のない腹のほうから包丁を入れて中の内臓や砂を取り出し、きれいに洗ってこれから味付けとなる。
お隣中国では高級な食材として日本から盛んに輸入し珍重されたが、戻し方や調理方法はまるで異なる。当時日本からは、きんこの他に北海道産の昆布なども沖縄を経由して盛んに中国へ輸出された。昆布の取れない沖縄に、昆布の郷土料理が多く残るのはその名残であると言われている。
天保九年。会津を訪れた御巡見使様の献立に、やまいもと共に利用されている料理は「きんこの浮雲」といわれた料理のようである。『素人包丁』(享和三年 1803年)といわれる料理書や『合類日用料理沙』(元禄二年 1689年)など江戸期の料理書にこの料理が多数登場する。時代が明治に入ると、会津でも次第に献立の記録から消えてゆくが、料理にも時代の流行があるようである。
|