古い時代の婚礼献立を見ると言うのはなかなか面白い。町方や郡部によっても異なるし,階層によっても大きく隔たる。
会津藩は江戸時代を通じて何度も倹約令を出している。届ける役所は異なるが、ある一定の基準があったようである。
届は次のような書き出しで始まる。「恐れながら書付を以ってご披露奉り候、」
「私儀、当日・・・・・(中略)婚礼仕り候につき、ご披露奉り候、以上」という報告の次に献立を記してある。
しかし、会津若松城下の商人たちの記録を見ていると、その内容は倹約令など何処吹く風の様に豪華である。献立記録は文化・文政期以後のものが多く、天明の改革以来、商人たちが大きな経済的実力をつけてきた様子が伺われる。
婚礼の様子を式次第にのっとって頭の中で描いてみると、古代からの日本人の精神生活が変遷し凝縮されているのだということに気づく。縄文以来引き継がれた自然崇拝や、渡来人たちが持ち込んだシャーマニズム,神話成立の気の遠くなるようなドラマ、大陸からの仏教や道教、儒教を始めとする様々な精神的文化の影響は、おだやかな日本の自然と人間に、時間をかけて融合させてきたのであろう。
婚礼はまるで、無形の情報の正倉院のようなものである、
昔、亡くなった人を埋葬する場所と祭る場所が異なっていた時代が長くあった。
人は死ぬと氏神となり、集落の高い位置に御霊として宿り自分の子孫を守ると言う考えが生まれてもごく自然な成り行きである。「式三献」は、天照大神を始めとする氏神を含めたあらゆる神に感謝して、ご披露するというのが成り立ちである。
その直会としての酒宴であった。人々は酒を飲み、神と一体となり祝ったのであろう。現代はこうした神事としての意義は薄れ、形式だけが残っている。挙句の果ては、キリスト教で結婚式をあげてから、また神道の結婚式を行うというに至っては退廃もはなはだしい。近代は神への感謝を忘れると同時にあらゆるものに感謝する心を失ってしまった。
婚礼は命の継承の荘厳な儀式である。そのことの意味は大きい。
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